リオのカーニバルを見に行った時のこと。
当時カーニバルのことはよく知らなかったのだが、カーニバルがスタートしたのが夜の10時ごろ。こんな時間から始まるなら1、2時間で終わるのか。案外あっけないなと思いながら、熱気に包まれた会場でビールを飲みながらカーニバルを眺めていた。
しかし、時間が経てども経てども終わる気配がない。しまいには、時計の針は0時を迎え、そのまま朝方の4時近くまでカーニバルは続いた。
これが年に一度のカーニバルか、とその迫力の余韻にひたりながら、バスで帰路についた。
その時はリオの地方にある民家のひと部屋を借りていたのだが、家に戻ってくると民家の主人であるおじさんが、リビングでひとりぽつんと椅子に背をかけ、テレビに映し出されたカーニバルの映像を見ていた。
リビングにはそのおじさんと、奥さん、息子が一緒に写った家族写真が置いてある。しかし、その家に今いるのはおじさんと猫だけだ。奥さんのことはわからないが、おじさんもいい年齢に見えたし、息子もとっくに家を出ていたのだろう。
なんだか椅子にもたれたおじさんの背中が、家族で賑わっていたときを偲んでいるように見えて、とてつもなく切ない感情を抱いた。男は背中で語る、とはよく言ったものだ。
そして、その時に知った。ブラジル人にとってカーニバルとは家族と同じ、人生の一部なんだということを。