REMINISCENCE

おじさんの背中

おじさんの背中

リオのカーニバルを見に行った時のこと。 当時カーニバルのことはよく知らなかったのだが、カーニバルがスタートしたのが夜の10時ごろ。こんな時間から始まるなら1、2時間で終わるのか。案外あっけないなと思いながら、熱気に包まれた会場でビールを飲みながらカーニバルを眺めていた。 しかし、時間が経てども経てども終わる気配がない。しまいには、時計の針は0時を迎え、そのまま朝方の4時近くまでカーニバルは続いた。 これが年に一度のカーニバルか、とその迫力の余韻にひたりながら、バスで帰路についた。 その時はリオの地方にある民家のひと部屋を借りていたのだが、家に戻ってくると民家の主人であるおじさんが、リビングでひとりぽつんと椅子に背をかけ、テレビに映し出されたカーニバルの映像を見ていた。 リビングにはそのおじさんと、奥さん、息子が一緒に写った家族写真が置いてある。しかし、その家に今いるのはおじさんと猫だけだ。奥さんのことはわからないが、おじさんもいい年齢に見えたし、息子もとっくに家を出ていたのだろう。 なんだか椅子にもたれたおじさんの背中が、家族で賑わっていたときを偲んでいるように見えて、とてつもなく切ない感情を抱いた。男は背中で語る、とはよく言ったものだ。 そして、その時に知った。ブラジル人にとってカーニバルとは家族と同じ、人生の一部なんだということを。

We are too clean

We are too clean

"We are too clean" アマゾン川のほとりにある、高床式の民家を訪れている時、一緒にツアーに参加していたボスニア人がふとつぶやいた。 日本人は昔から綺麗好き。それなのに、コロナウイルスの感染防止のため、今まで以上に手を洗うようになった。これでは、子供たちの免疫力低下は免れないだろう。 窓のない吹き抜けの家で、動物と一緒に住み、虫と一緒に住み、夜明けとともに起きる(夜更かしはするようだ)。 快適さとは無縁の世界だが、どちらの生活が豊かだろうか。日々の生活に追われているのはみな同じなのに、彼らの顔から笑顔は絶えない。

ラパスの教会

ラパスの教会

夜、ラパスの教会で礼拝が行われていた。中に数百人はいるだろうか。ほぼ満席だったが、教会の後ろのほうの席が空いていたので、そこに座って神父の話を聞いていた。 スペイン語なので、もちろん何を言っているかはわからない。ただ、その厳かな雰囲気を感じていた。 礼拝の途中で、教会のスタッフと思われる20代前半くらいの男の子が、被っていたつば付き帽子を脱いでひっくり返し、礼拝の参加者ひとりひとりに募金を募った。 観察していると、100人中100人が募金をしている。断っている人は1人もいないようだ。例外はない。信仰心を目の当たりにした気持ちだ。 払うべきか、いや、いくら払うべきか、そんなことを考えていたら、自分の番がふと訪れた。 私の前に来た彼は、私がどうしようかと迷う間もなく、私の前に手を差し伸べ、ただ拍手をして、ニコッとほほ笑んだ。そして、募金を募らずに、次の人のところに行った。 その後、しばらく放心していた。彼の心の豊かさに。彼のような優しい心を持ちたいと思った。